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佐々木 久子さんを悼む 日本酒を愛しぬいた生涯

2008年8月 3日

                                        山本 祥一朗

 佐々木久子さんが6月28日に亡くなられ、30日に身内だけで葬儀を終えられた直後に、小林信也氏(賀茂鶴㈱副社長)より訃報のご連絡をいただいた。
 私が処女作を出したのは昭和43年だったが、佐々木さんはその13年も前から月刊「酒」で活躍しておいでだった。国会図書館には「酒」のバックナンバーが揃っている。私はよくそれを参考にしていたから、今も収まって「酒」で手垢で汚れているのがあれば、おそらく私のそれだろう。
 「酒」の発刊によって、それまでは学者先生の堅い読み物か呑んべえ文士のエッセイに過ぎなかった酒が内容的に幅が出てきたのは事実で、佐々木さんの功績は大きいと思う。
 ただ、私が佐々木さんとお付合いをはじめたのは20年ほど前からで、それまでは知ってはいてもお互いに何となく敬遠していた。それがひょんなきっかけから親しくお付合いするようになった。
 「酒」が休刊となったのは平成9年で、501号が最後だった。そこで佐々木さんの激励会をやろうということになり、僭越ながら私が発起人代表となった。佐々木さんは酒縁を大切にする人である。そこで多くのお付合いのあった人たちに声をかけようと思ったが佐々木さんは、あまり大袈裟でなく少人数にしてほしいと仰言る。そこで人数を絞って催すことにした。
 ひとくちに雑誌経営といってもむつかしいことは、この世界を知る人ならお分かりの筈である。佐々木さんはひと頃、「銀行に借金するのも大変なのよ」といっていたが、そんな借金の心配をしなくてすむので終わったらせいせいする、とも話していた。
 佐々木さんは、日本酒で乾杯推進会議の百人委員として私も一緒に入っていたが、最初の総会に出られた後で倒れられた由で、その後はお会いしていない。お見舞いに行きたかったが、華やかに活躍されただけに、病床での弱られた様子に接するのは当人にご迷惑ではないかとお察しした。
 佐々木さんの酒にまつわる逸話はあまりにも多い。とりわけ日本酒の燗を好まれたことはよく知られているが、その燗にまつわる佐々木さんの話だけでもかなりのボリュームになろう。
 炎暑の候ながら、今夜は佐々木さんが燗酒を旨そうに飲まれる様を偲びながら、しみじみと献杯するとしよう。

(本館代表・小島よりーー若い業界人の中には佐々木久子さんの名前を知らない人も少なくないだろう。「酒」編集長として長く日本酒の応援団長であった。私も若い頃、編集室にお訪ねして日本酒党だと名乗ったら「こちらにコーヒーお出しして」といっていただいた。ステキなおば様だった。現代の日本酒応援団長で作家の山本祥一朗氏に追悼文をお願いした。)

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