これでいいのか!? 居酒屋の「日本酒」供し方
最近、日本酒党や蔵元と飲んでいると、必ずといっていいほど話題になる嘆きのテーマがある。「なぜ日本酒はこんなにうまくなっているのに伸びないのか」という嘆きだ。おそらく日本酒を愛する人ならば、一度はため息まじりにこの疑問を口にした経験があるに違いない。
いろいろな要因や背景が日本酒の実力を発揮させることなく低迷させているのだろう。しかし、そんな諸要因・諸背景をさしおいても、今どうしても1点だけ、声を大にして訴えたいことがある。
それは我々が日本酒を楽しむ身近で最大の現場、居酒屋・飲食店における日本酒の供し方・サービス法だ。ここにこそ日本酒普及を妨げる直接的で決定的な誤りがあると、日頃から憤懣やるかたなく嘆いているのだ。
まず、「お燗酒」の供し方。これについてはこの欄の2月24日付で書かせてもらったので、くりかえすことはやめたい(本当は何度でもくりかえしたいのだが)。
ここではもう片方の「冷酒」の供し方の問題をとりあげたい。いまや居酒屋の主役になってしまったチェーンの居酒屋などが典型的だが、大半は以下のような判でおしたような出し方をしている。
1.グラス・コップを受け皿・升の上において出す。
2.グラス・コップに酒をドボドボと注いで皿・升にたっぷりこぼす。
3.量もたっぷり"正1合"をうたっている。
4.結果、特定名称酒なら(ふつうはこれだが)、値段は1杯600円から800円くらいと、酒メニューの中で断トツに高くなっている。
こんな日本酒の供し方を全面的に否定しているわけではない。立ち飲みあたりで勤め帰りにサッと1杯ひっかけていくのなら、この供し方もありだと思う。中高年の日本酒党には、このスタイルこそ王道と考える人もいる。"三丁目の夕日"を見た若い人の目には、レトロでカッコイイと映るかもしれない。かくいう筆者もなみなみと注がれた酒には目がない。
しかし、こうした供し方がどこでも見られるようになってから、日本酒が失ったものはあまりにも大きいのではないかと考えている。
まず、こぼして注ぐことでグラスをもつ手がぬれる。皿・升にこぼした酒はグラスに移すのか、先に飲んでしまうのか。そんなことをやっているうちに、たいていは指もテーブルも酒まみれになる。女性に敬遠されたとしても不思議はない。
そして"正1合"という量。多すぎまいか。メニューにはいろいろな土地のいろいろな銘柄があるのに、2杯、2種類も飲んだら酔ってしまう。ビールを先にあけていたら、1杯、1種類かもしれない。飲み比べる楽しみ、醍醐味を奪っているとしか思えないし、酒量の少ない人には敬遠されるだろう。
そして、値段だ。サワーや焼酎ロックはふつう500円以下である。大ジョッキが姿を消した昨今では、「日本酒は高い酒、だから飲めない」といわれている。とくにこの不況下では、若い人に敬遠されて当然といえる。若い頃に経験しなかった酒を中年になったから飲むようになる、などと期待することなどできない。
こうしてみると、女性、若い人、酒に弱い人、お小遣いの少ない人などを日本酒から敬遠させる供し方であると結論づけていい。
どうしてこんな供し方が広まってしまったのだろうか。筆者の経験からすると、吟醸酒ブームの頃の<日本酒グラス(1合よりずっと少量)+朱塗りの升>スタイルと、<角打ち・大衆居酒屋のコップ酒>スタイルが合流して、さらに<正1合は正しい出し方>という変な価値観が加味されて出来上がったように思える。
しかし、一番の要因は居酒屋・飲食店の発想ではないかと思う。日本酒は地酒や吟醸酒・純米酒だ、これを飲む人は酒にうるさいが金も出すし酒にも強い、量は単価も稼げるから正1合でいこう、皿や升にこぼすと喜ぶはずだ・・・こんな発想があるのではないか。そして、思ったほど売れないと「日本酒はダメだね」「いい日本酒は出ないよ」と結論づけられてしまう。そこで、ますます黙っていてもそこそこ出る有名銘柄頼りに傾いて、どこも似たりよったりの酒メニューになってしまうのだ。
一番肝心な"外酒"のメインストリーム、居酒屋・飲食店でのこの大きなズレにメスを入れない限り、日本酒の活性化はおぼつかない。ここに酒販店のアドバイス・指導力が問われているといってもいい。
さいわい、まだ一部の高級店が中心だが、1杯の量やグラス・盃に工夫をこらしたセンスのいい供し方をする店もふえてきた。そんな店で飲む日本酒は格段にうまい。我々酒好きはただアルコールを摂取したいのではなく、お酒という至高の飲み物を堪能して生きている喜びをかみしめたいのである。
その点、あえてこれだけはいいたい。今は酒質・味の向上もさることながら、むしろ飲み方・楽しみ方・供し方の革新こそ日本酒の元気復活の決め手である、と。
(小島)
